2011年10月24日
希望の光。
今日も同じお宅へ訪問。
昨日から気にはなりつつ、誰もいなかったので、誰も気にしてなかったようですが。
作業依頼のあったお宅の向かいに、ホタテの殻が山のように積んであり。
今日は作業所に人が4人ほど居ました。
みんなで駆け寄り、
『こんにちはーー』
と、挨拶。
『何してるんですか?』
と聞くと、
毎年牡蛎の殻に牡蛎の子供をつけるのですが、
今年は北海道からホタテの殻を取り寄せ。
ホタテの殻で牡蛎を作る。
という事でした。
地元の海で養殖するのかと思っていたら、
『これはね、私達がオーナーになって、
愛知県に出して育ててもらうんですよ(^-^)』
え?
愛知県に出発ですか?!
なんだか嬉しいです。
一つ一つ手作業で、牡蛎の養殖準備が宮城で始まってます。
来年の7月用とか言ってみえました。
元気で美味しい牡蛎に育ってね。
頑張ってます。

東北!
昨日から気にはなりつつ、誰もいなかったので、誰も気にしてなかったようですが。
作業依頼のあったお宅の向かいに、ホタテの殻が山のように積んであり。
今日は作業所に人が4人ほど居ました。
みんなで駆け寄り、
『こんにちはーー』
と、挨拶。
『何してるんですか?』
と聞くと、
毎年牡蛎の殻に牡蛎の子供をつけるのですが、
今年は北海道からホタテの殻を取り寄せ。
ホタテの殻で牡蛎を作る。
という事でした。
地元の海で養殖するのかと思っていたら、
『これはね、私達がオーナーになって、
愛知県に出して育ててもらうんですよ(^-^)』
え?
愛知県に出発ですか?!
なんだか嬉しいです。
一つ一つ手作業で、牡蛎の養殖準備が宮城で始まってます。
来年の7月用とか言ってみえました。
元気で美味しい牡蛎に育ってね。
頑張ってます。

東北!
2011年10月24日
野蒜小学校。
ボランティア三日目。
お昼休憩の間に、新東名の隣の野蒜(のびる)小学校に行った。
皆さんの記憶に残ってるでしょうか。
生徒全員、体育館へ避難し。
体育館に襲って来た津波により、何百人もの小学生が亡くなった学校。
そしてその時、置いて行ったランドセルの山。
何回かテレビ報道で映ってましたが。
野蒜小学校までは、沿岸の道を歩くか、
津波でぐにゃぐにゃに曲がった雑草だらけの線路の上を歩くか。
私達は線路上を歩いて行きました。
枕木が途中なかったり。
水で腐食してぐにゃぐにゃだったり。
少し歩きにくい道でした。
トンネルを抜けると、水溜まりに船が。
2階部分だけ残って、1階がない民家。
家の基礎だけ残って、土地の片隅に、お花とペットボトルが手向けられてるお宅。
言葉が出ない光景の中、野蒜小学校へ黙々と進みました。
体育館には、献花台が設置され、献花台の右横には新しいエンジ色のランドセル。
体育館の時計は、15:48で止まってました。
1階から2階へ上がる階段。
2階はたくさんの人が上がれる程、場所はそんなになく。
壁には津波が溜まった跡が残り。
2階に逃げる事が出来た生徒は助かり、1階に居た生徒は波により…。
幼い命が、この場所でたくさん失われました。
15mの津波が起こり、小学校には5mの波が来たそうです。
怖かったんだろうな。
怖かったよね。
悲痛な思いが聴こえて来そうな体育館でした。
校庭?には、ボッシュの名前が入った、きれいな仮設住宅らしき建物が並んでました。
体育館の横の駐車場には、『復興一号』と書かれた、軽自動車が。
メッセージを読みました。
涙が止まりませんでした。
愛知県豊橋市の加藤さんという方も、メッセージを書かれてました。
ボランティア活動に来てる今、正直、国会やら政治やら、東電やら。
その情報に興味が出ません。
とにかく、一日でも早く、復興を。
自宅に帰りたい人達の手助けを。
家族、親戚だけじゃ、手が足りない。
誰かの助けが欲しい。
でも、自分達だけで頑張ろう。
そんな思いの中、現地の人達は毎日頑張って生きて、私達ボランティアに気遣かってくれたり、笑顔で話しかけてくれたりしてます。
一人でも多くの力が必要な事は確かです。
お昼休憩の間に、新東名の隣の野蒜(のびる)小学校に行った。
皆さんの記憶に残ってるでしょうか。
生徒全員、体育館へ避難し。
体育館に襲って来た津波により、何百人もの小学生が亡くなった学校。
そしてその時、置いて行ったランドセルの山。
何回かテレビ報道で映ってましたが。
野蒜小学校までは、沿岸の道を歩くか、
津波でぐにゃぐにゃに曲がった雑草だらけの線路の上を歩くか。
私達は線路上を歩いて行きました。
枕木が途中なかったり。
水で腐食してぐにゃぐにゃだったり。
少し歩きにくい道でした。
トンネルを抜けると、水溜まりに船が。
2階部分だけ残って、1階がない民家。
家の基礎だけ残って、土地の片隅に、お花とペットボトルが手向けられてるお宅。
言葉が出ない光景の中、野蒜小学校へ黙々と進みました。
体育館には、献花台が設置され、献花台の右横には新しいエンジ色のランドセル。
体育館の時計は、15:48で止まってました。
1階から2階へ上がる階段。
2階はたくさんの人が上がれる程、場所はそんなになく。
壁には津波が溜まった跡が残り。
2階に逃げる事が出来た生徒は助かり、1階に居た生徒は波により…。
幼い命が、この場所でたくさん失われました。
15mの津波が起こり、小学校には5mの波が来たそうです。
怖かったんだろうな。
怖かったよね。
悲痛な思いが聴こえて来そうな体育館でした。
校庭?には、ボッシュの名前が入った、きれいな仮設住宅らしき建物が並んでました。
体育館の横の駐車場には、『復興一号』と書かれた、軽自動車が。
メッセージを読みました。
涙が止まりませんでした。
愛知県豊橋市の加藤さんという方も、メッセージを書かれてました。
ボランティア活動に来てる今、正直、国会やら政治やら、東電やら。
その情報に興味が出ません。
とにかく、一日でも早く、復興を。
自宅に帰りたい人達の手助けを。
家族、親戚だけじゃ、手が足りない。
誰かの助けが欲しい。
でも、自分達だけで頑張ろう。
そんな思いの中、現地の人達は毎日頑張って生きて、私達ボランティアに気遣かってくれたり、笑顔で話しかけてくれたりしてます。
一人でも多くの力が必要な事は確かです。
2011年10月23日
東松島市にて。
一昨日から、宮城県東松島市に来ております。
今回参加させていただいたボランティアは、東京都某区の企画です。
東松島市の東名(とうな)という場所で作業させてもらってます。
一昨日の夜、宿泊所から自転車で、少し離れた場所まで買い出しに出かけました。
歩道の横に、船が2隻、横たわってました。
沿岸から近い場所です。
コンテナも歩道の横に横たわってました。
曇り空でしたが、松島の海にほんのり映る、月夜がきれいでした。
二日目も、昨日と同じ場所で作業です。
個人のお宅の草むしり。
6人1チームで回りました。
続く…
今回参加させていただいたボランティアは、東京都某区の企画です。
東松島市の東名(とうな)という場所で作業させてもらってます。
一昨日の夜、宿泊所から自転車で、少し離れた場所まで買い出しに出かけました。
歩道の横に、船が2隻、横たわってました。
沿岸から近い場所です。
コンテナも歩道の横に横たわってました。
曇り空でしたが、松島の海にほんのり映る、月夜がきれいでした。
二日目も、昨日と同じ場所で作業です。
個人のお宅の草むしり。
6人1チームで回りました。
続く…
2011年10月21日
誕生日。

本日はなんと!
ひだまりの誕生日。
何人かのブロガーさんから、おめでとうメールをいただきました。
ありがとうございます。
そんなラストイヤーを迎えた今日。
宮城に来ています。
復興支援のボランティア活動に参加させていただいてます。
現地の方の笑顔。
優しい気配り。
初日にして色んな物をいただきました。
完全復興まではまだまだですが。
出来る範囲で出来る人達が。
ちょっとずつでもいいから、こつこつと続けて行く事が大事なんだと思いました。
残り三日。
ひだまりなりに頑張って参加して来ます。